初めてのラベル体験 その3

僕は、ラベルの音楽を聴くと、一方で強い明晰さが志向された音楽のように聞こえる時があるが、しかしそれだけだとラベルの音楽を繰り返し聴きたいとは思わないのではなだろうか?ラベルの音楽には、明晰さ、明瞭さの裏っ側に、闇の部分というか、尋常でない部分、狂気の範疇に触れる部分があって、それがラベルの音楽に深い滋養を与えているように感じる。ラベルは、意図的にそういった側面を強調しようとするタイプの作曲家ではないと思うが(また、それが彼の曲のよいところなのだけれども)、でもどうしても溢れて出て来ちゃうんだよね。たぶん、ラベルがそういう人だったのだろう。

 

ポピュラー名曲になりうるほどの魅力的なメロディーの仮面をかぶってはいるけれど(まぁ、そもそもこのメロディーもやはり明らかに普通ではない気がするのだけれども)、ボレロという曲は、明晰さよりもはるかに尋常でない部分が勝った、非常に魔術的な曲であると思う。

 

1928年に作曲されたようですが、クラッシック音楽の枠組みの中に閉じ込めておくのはもったいないというか。でも、僕はクラッシック大好きなんですけど、だいぶ違和感があるかなー。無論よい意味でですが。いやー、でもそもそも大きく逸脱しちゃってるよねー。おもしろいなぁー。

しかし、そもそもこの曲は、バレエ音楽であって、バレエを観ないとその本質は理解出来ないのかもしれない。(僕はまだ観たことがない)

 

このボレロの初演が終わってから、聴衆の女性のひとりが、「頭がどうかしているわ!こんな曲を書くなんて本当にどうかしてるわよ!」と叫んだというエピソードを、これまた吉田秀和さんの「私の好きな曲」で読んだことがある。(ラベルのヴァイオリンソナタについて書かれているところに載っています)。それを聞いたラベルが「その人は、よくわかったんだ」と答えたとか。その女性も、もちろんラベルも、この曲の本質がよくわかっていた、ということだろう。